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筑後川遺産「デレーケ導流堤」その1

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    デ・レイケ導流堤に関する築堤の謎 -1
    連載

    佐賀財閥形成における大隈重信の影
     

     本小論は歴史学的、土木学的に専門外のNPO活動家の考察であることを先ずはお許し頂きたい。  左記写真は主題となる筑後川導流堤(以下デ・レイケ導流堤と表記)である。有明海から7卉賄世茲蟆聾へ延々と続く日本土木学会「選奨土木遺産(平成20年)」である。しかしながら、この水制構造物については資料が殆ど残存しておらず、研究も少ないのが現状である。今回NPO活動の一環として調査研究を基に考察を加えて発表するものである。

     

    第一章 地理的背景

     

    1.九州一の大河筑後川におけるデ・レイケ導流堤の位置

     

     一級河川筑後川(全長143辧砲硫聾域にほぼ原形を保つ河川港の現役施設である。しかも約120年前、明治23年に完成をした全長は6527mの大川市、佐賀市、柳川市に接する石積み堤である。  残念なことにこのデ・レイケ導流堤は文化財として一級品ですが、国の重要文化財指定が取れておらず、所有者の登記が未だできていないのがその一因となっている。  このデ・レイケ導流堤の起点となる若津港は大川市向島(むかいじま)若津であり古い港榎津の新港でもあり、また大川市中心市街地は久留米藩と柳川藩が接する藩境の宿場町の性格も持ち合わせている。地理的に対岸は佐賀藩であり歴史、文化の十字路ともいえる要衝の河川港である。また江戸期から昭和まで、上流の日田より久留米を経て若津、榎津まで木材が筏として運ばれ、筑後川舟運の最終到着地でもあったことから、大いに家具生産が隆盛を極めた木工業の地でもある。
    ヨハニス・デ・レイケは明治政府雇用オランダ人土木技師

     下流地図

    2.大川市若津港地先の地域特性

     

     筑後川下流域は上流から運ばれる土砂の流入と「日本一干満差6m」の有明海から遡上する微粒子泥土(潟土)の滞留する特性を持っている。すなわち、満潮時は「海」、干潮時は「陸(干潟)」となる「半陸半海」のエリアとなり、有明海深奥部周辺の河川は潮汐の影響を受け水位、流速の変化する「感潮河川」であり、多様性の地域となる。 その逆流し遡上する潮水は中流の久留米市(河口より30辧砲砲泙捻洞舛靴討り、もちろん、この現象を生かした舟運システムや干拓も古くから行われていた。 【汽水域の生物にも多様性があるが本編では省略とする。】

     

    新田大橋から上流側を見た写真↓
    デレーケ堤写真
    投稿:

    特定非営利活動法人 大川未来塾
    特定非営利活動法人 みなくるSAGA

    理事 本間 雄治さん

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