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「第30回筑後川フェスティバルin大川」開幕

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    「第30回筑後川フェスティバルin大川」開幕

     2016年6月11〜12日福岡県大川市

    筑フェス大川開幕

    筑フェス大川開幕写真

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    第30回筑後川フェスティバルin大川 予告チラシ

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      第30回筑後川フェスティバルin大川 予告チラシ

      ○筑後川フェスチラシ表kettei160401

      ○筑後川フェスチラシ裏kettei160401

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      筑後川遺産「デレーケ導流堤」その3

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        デ・レイケ導流堤に関する築堤の謎 -3

        連載

        佐賀財閥形成における大隈重信の影

         

        第二章 歴史的背景 (続き)

         

        3.三井物産会社の創設と若津港、そして大隈重信の郷土愛

         

         佐賀市史に若津港に三井物産明治10年若津出張店、佐賀市に三井銀行明治11年佐賀出張店の記述があります。  それに関して、三井文庫物産日記が入手できた。当時の社員の手で書かれた貴重な記述が多く、一級品の資料と推察できる。  これは明治近代化、殖産興業の流れ、地元佐賀では未発見の事実が読み取れる貴重な近代史文書であり、多くの事実が推測できる。まず、三井物産初代社長の自叙伝を原文のまま掲載する。私は実地を見る為、羽太紀克と古谷龍蔵とを連れて三池へ行った。横浜から馬関まで汽船、門司から先は人力車で行つた。古谷は九州米買入の手配をする為めに連れて行つたのであるから、三池へは連れて行かずに、長崎で落ち合ふ約束で、肥前の若津と云う處へやつた。若津はあの辺の米の集散地である。  三井物産会社の初出張である。周知のとおり三井物産の創業期の重要な取扱品は米、石炭、茶であることは再三、物産資料に頻出する。三井物産創設に関しては明治政府の重大指針が前提としてあげられる。  「輸出品ヲ以テ外債償却ノ儀」明治8年大久保利通と大隈重信が建議する。これはロンドン・オリエンタルバンク取扱いの日本初の外債500万円の償還に関するものである。これにより大隈は国策会社として三井物産設立に動くのである。極東の小国が外債を出せたのは前述したイギリス公使パークスの支援であり、この500万円は大隈の推進した日本初の鉄道開設、明治5年開業の新橋・横浜間の建設費388万円である。「大隈重信は三井物産を国策会社としてプロデュースした。」  三井物産会社として益田孝の初出張出発日の2週間後、明治9729日付で東京府より認可が下りている。それを受け御礼挨拶に社主三井家2名が大蔵卿大隈重信・伊藤博文・大久保利通・楠本・松方・河瀬・東京府参事・同勧業課長等へ訪問するとある。また、同月31日付で若津出張の古谷3千石買入したとある。「三井物産業務の祖は若津港にあった。」  前述したように三井物産会社「日記」によると物産は明治9731日の項で肥前米3千石を買取したとある。日記に表記される地名は、第一位「横浜」第二位「長崎」第三位「若津」でその若津表記は45回ほどに達する、現在は筑後川河口の片田舎である。江戸時代から継承された「九州米の一大集積地」若津での三井物産の肥前米買付は他を凌駕しているし、取扱は第一位である。  三井物産の出張店はなく、深川商店が代理店として機能したと思われる。ここで大隈重信の意向が働いたのではないかと推測する。明治10223日には肥前米・肥後米合わせて23252石の大量の米が動いているが、これは西南戦争での軍需米である。この内戦で深川嘉一郎は御用船として傭船契約を結び明治政府軍需品・兵員の輸送で巨利を得ている。「三井物産は明治のインターネットを活用した。」  ここでの表現、明治のインターネットは勿論、電信「電報」である。電信線は明治6年東京・長崎間が開通した。三井物産「日記」を読むと通信手段はこの電信を多用しており、契約書等以外は「電信セリ」「受電ス」のやり取りである。ちなみに明治2012月調「大日本電信線路図」を読み解くと電信機の数が中継地点毎に表示されているが、九州北部でのその数、長崎8機、下関7、佐賀3、博多2、小倉2、久留米1、若津2となっている、筑後川を挟み佐賀と若津の近距離で5機設置されているのは非常に興味深く、当時の肥前出身の政治家、官僚数と若津での経済活動が背景にあると推察する。

         

        国立公文書館 所蔵 (近代絵図大日本電信線路図 写)
        長崎街道
        投稿:

        特定非営利活動法人 大川未来塾
        特定非営利活動法人 みなくるSAGA

        理事 本間 雄治さん

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        筑後川遺産「デレーケ導流堤」その2

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          デ・レイケ導流堤に関する築堤の謎-2

          連載

          佐賀財閥形成における大隈重信の影

           

          第二章 歴史的背景

           

          1.江戸時代後期における米廻船業、久留米藩豪商・林田正助

           

           若津港の歴史を語るには先駆者、江戸時代後期の久留米藩豪商「林田正助(1823年没)である。林田家は久留米藩の御用商人として田主丸に本店を構えていたが、正助は事業を継承し久留米藩随一の豪商となり大阪堂島に支店を構えました。藩からの請負による年貢米、大阪への米廻船を開設し、母港として三潴郡向島村若津に蔵を構えることとなった。1813年に手津屋若津蔵を創設、同年久留米藩に5,000両の大金を献上している。この「手津屋若津蔵」が深川嘉一郎の米商店として若津港で躍進する拠点と推察している。  林田正助は久留米藩の空米切手事件(1814年)の責任を転嫁され、事業の縮小をするに至る。しかし、正助の死後、約50年に肥前の気鋭の商人・深川嘉一郎が瀬戸内経由の大阪航路と米蔵を継承することとなる。若津港出入りの船籍は周防国29隻、伊予国16隻、大阪11隻、安芸・筑後各6隻、長門3隻、豊前・豊後各2隻、讃岐・肥前・筑前・備前・備後国各1隻となっており、九州の米の一大集積地であったに違いなく、筑後川は江戸期物流の高速道路の感がある。また、江戸期から明治初期にかけては大阪堂島の米相場に関して、「旗振り山」によると、全国に向け相場情報が山々を旗振り信号で伝わったとあり、その「西の最終地」は筑後若津と記されており、江戸期より、米中心の経済上重要な位置を占めていたのである。

           

          2.幕末、明治時代初期の佐賀藩と大隈重信、深川嘉一郎

           

           幕末から明治初期の佐賀藩は輝いていた、鍋島10代目藩主「鍋島直正」は精錬方という科学技術の研究機関を創設し、鉄鋼、加工技術、大砲製造、蒸気機関、電信、伝染病治療等の研究開発に多くの俊英を藩内外より登用している。当時としては日本有数の近代化、西洋化政策である。しかも、この佐賀藩近代化政策の中枢は筑後川支川早津江川に創設された佐賀藩三重津海軍所(1858年)であり、明治維新後の日本、「殖産興業の種」がこの地で蒔かれたといっても過言ではないと言える。  1865年大隈重信は長崎五島町に英学塾「致遠館」を設立し、その翌年宣教師フルベッキを校長として招聘することとなる。この「致遠館」には大隈重信、副島種臣等の明治維新の偉人たちが学び、大隈重信が大政治家へと昇華する礎であり、明治の文明開化へと連なる。  大隈重信は明治元年、政府の徴士参与職に任じられ上京する。一方、深川嘉一郎は佐賀藩の蔵方御用達として活躍していました。大隈らの要請により他の佐賀藩御用商人と共に「長崎致遠館」の設立資金やフルベッキの給与を供出することとなる。  大隈らの「長崎致遠館」設立の前年、嘉一郎は佐賀藩長州追討の軍資金を拠出しており、致遠館運営資金と合わせると相当な財を米取引で蓄積していたと推定できる。明治維新後、嘉一郎は藩主所有「神幸丸」の拝借を受け、長崎を経て大阪航路を明治4年に開設する。「深川商店(創立明治3年)」と称した嘉一郎は明治10年に若津支店を開業し、以降は筑後若津港を拠点に米取引と海運業へと進出する。

           

          明治期の手津屋若津蔵
          煙突写真
          上記、筑後川絵図の中央「手津屋若津蔵」は幅4間、長さ25間と久留米藩文書より推定されておりますし、特徴的な蔵絵を示している。 石垣の護岸に囲まれた「手津屋若津蔵」が明治期の深川別邸写真にあることが判明した、恐らく新しい発見である。
          古地図
          投稿:

          特定非営利活動法人 大川未来塾
          特定非営利活動法人 みなくるSAGA

          理事 本間 雄治さん

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          筑後川遺産「デレーケ導流堤」その1

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            デ・レイケ導流堤に関する築堤の謎 -1
            連載

            佐賀財閥形成における大隈重信の影
             

             本小論は歴史学的、土木学的に専門外のNPO活動家の考察であることを先ずはお許し頂きたい。  左記写真は主題となる筑後川導流堤(以下デ・レイケ導流堤と表記)である。有明海から7卉賄世茲蟆聾へ延々と続く日本土木学会「選奨土木遺産(平成20年)」である。しかしながら、この水制構造物については資料が殆ど残存しておらず、研究も少ないのが現状である。今回NPO活動の一環として調査研究を基に考察を加えて発表するものである。

             

            第一章 地理的背景

             

            1.九州一の大河筑後川におけるデ・レイケ導流堤の位置

             

             一級河川筑後川(全長143辧砲硫聾域にほぼ原形を保つ河川港の現役施設である。しかも約120年前、明治23年に完成をした全長は6527mの大川市、佐賀市、柳川市に接する石積み堤である。  残念なことにこのデ・レイケ導流堤は文化財として一級品ですが、国の重要文化財指定が取れておらず、所有者の登記が未だできていないのがその一因となっている。  このデ・レイケ導流堤の起点となる若津港は大川市向島(むかいじま)若津であり古い港榎津の新港でもあり、また大川市中心市街地は久留米藩と柳川藩が接する藩境の宿場町の性格も持ち合わせている。地理的に対岸は佐賀藩であり歴史、文化の十字路ともいえる要衝の河川港である。また江戸期から昭和まで、上流の日田より久留米を経て若津、榎津まで木材が筏として運ばれ、筑後川舟運の最終到着地でもあったことから、大いに家具生産が隆盛を極めた木工業の地でもある。
            ヨハニス・デ・レイケは明治政府雇用オランダ人土木技師

             下流地図

            2.大川市若津港地先の地域特性

             

             筑後川下流域は上流から運ばれる土砂の流入と「日本一干満差6m」の有明海から遡上する微粒子泥土(潟土)の滞留する特性を持っている。すなわち、満潮時は「海」、干潮時は「陸(干潟)」となる「半陸半海」のエリアとなり、有明海深奥部周辺の河川は潮汐の影響を受け水位、流速の変化する「感潮河川」であり、多様性の地域となる。 その逆流し遡上する潮水は中流の久留米市(河口より30辧砲砲泙捻洞舛靴討り、もちろん、この現象を生かした舟運システムや干拓も古くから行われていた。 【汽水域の生物にも多様性があるが本編では省略とする。】

             

            新田大橋から上流側を見た写真↓
            デレーケ堤写真
            投稿:

            特定非営利活動法人 大川未来塾
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            佐野常民記念館の企画展9/13〜10/19「近代筑後川流域のあけぼの〜三重津海軍所と深川造船所〜」

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              「近代筑後川流域のあけぼの」〜三重津海軍所と深川造船所〜
              幕末の頃、佐賀藩によって設立された三重津海軍所には日本最初のドックが設けられ、蒸気船修復等が行われたほか、この地で日本初の実用的蒸気船凌風丸が建造されるなど、文字通り近代化の先駆けとなりました。
              明治になって、佐賀市久保田町出身の深川家は旧佐賀藩所有の蒸気船の払い下げを受けて、現在の福岡県大川市若津の地で汽船業に乗り出します。後の深川汽船(前身 大川運輸株式会社)です。
              さらに大川運輸株式会社から造船部門が独立して深川造船所が設立され、ここに建設された「ドライドック」が、まさに下流の三重津海軍所のドックと共通するものでした。
               深川家は、いち早く長崎や大阪など国内航路を開いた後、種子島地方をはじめとした南方へと積極的に事業投資を行うなど、海運業を中心に巨大企業に成長していきました。その背景には佐賀出身の実力者大隈重信の影響も伺われます。
              企画展では、最近になって発見された、当時を知る古写真や文字資料をもとに、筑後川流域の近代化という視点から三重津海軍所と深川造船所を取り上げ、筑後川流域に出現した幕末から明治期にかけての近代化の一様相を紹介します。
              ●会 期:平成26年9/13(土)〜10/19(日)
                           
              9:00〜17:00 
                         休館日/毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
              ●会 場:
              佐賀市佐野常民記念館
                    
              一階多目的室
                        佐賀市川副町大字早津江津446-1
                            TEL:0952-34-9455 FAX:0952-34-9465
              ●観覧料:無料 
                            (二階展示室は有料 大人300円 
                               子ども(小・中・高校)100円)

              主催/佐賀市佐野常民記念館
              共催/佐野常民顕彰会     NPO大川未来塾
              佐野常民記念館企画展深川造船所
              展示品など詳細はコチラ→佐賀市佐野常民記念館
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              第11回九州「川」のオープンカレッジin大川 予告

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                「川と医療福祉」そして「筑後川・有明海の風土」
                日時:95日(金)1230〜・6日(土)900〜・7日(日)9001230終了
                会場:国際医療福祉大学  大川キャンパス(二分野 9講座予定)
                    大川市街・筑後川下流と有明海(フィールドワーク)
                95日(金) 国際医療福祉大学 大川キャンパス
                12:30 国際医療福祉大学集合〈大川キャンパス「A棟ラウンジ」〉
                学長挨拶 杉尾 哲
                13:00 オリエンテーリング〈B棟206教室〉
                講義
                「有明海総論」荒牧 軍治(佐賀大学名誉教授 さが水ものがたり館館長)
                「筑後川下流・有明海干拓変遷」服部 二朗(NPO法人嘉瀬川交流軸事務局長)
                「デ・レイケ導流堤と近代化産業遺産」本間 雄治(NPO法人大川未来塾理事)
                「有明海の新しい祭りガタリンピック」大隈 昌子(フォーラム鹿島)
                「有明海干潟・ラムサール条約登録へ」竹下 泰彦(NPO法人有明海ぐるりんネット理事)
                「川と医療福祉」駄田井 正(久留米大学名誉教授)
                「川下りと障害者乗船」齊場三十四(佐賀大学名誉教授)
                「水を利用したリハビリテーション治療」柗田 憲亮(国際医療福祉大学講師)
                「川のバリアフリー」平野 憲司(番匠川流域ネットワーク事務局長)
                96日(土) 大川市内 筑後川下流域
                9:00 国際医療福祉大学集合
                フィールドワーク説明
                実習
                キャンパス訪問
                筑後川デ・レイケ導流堤現地視察
                市内視察 風浪宮の歴史
                18:0020:00
                交流会 
                97日(日)国際医療福祉大学 大川キャンパス
                9:00 ワークショップ
                1230 終了
                チラシ↓

                九州川のオープンカレッジ2014omote
                九州川のオープンカレッジ2014ura
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                佐野常民記念館の企画展「石炭開発と近代佐賀〜近代エネルギーの先駆け〜」

                0
                  石炭開発と近代佐賀

                  〜近代エネルギーの先駆け〜
                  ●江戸時代半ばごろより佐賀藩は、他藩にさきがけてエネルギー源として石炭に注目し、開発を始めていました。藩内では、山城郷(現伊万里市)、杵島(現武雄市北方町)の炭鉱を開発しています。
                   幕末の頃、佐賀藩は藩主鍋島直正のもと長崎警備の必要により全国に先駆けて西洋の科学技術の導入を進めていました。中でも理化学研究所として設置された精煉方にいた佐野常民も、膨大なエネルギーを産み出す石炭に注目していたことは想像に難くありません。
                   事実、常民が統括した三重津海軍所では、蒸気船の燃料として北方産の石炭が使用されています。
                  また、従来の炭鉱に加え、佐賀藩は新たに長崎県の高島でも炭鉱開発に乗り出していますが、そこで産出された石炭は、購入した蒸気船の代価の一部として使用されています。明治初期、常民もまた、高島炭鉱の官有化にむけて努力しています。
                   今回の企画展では、佐野常民も関わった石炭開発に取り組んだ佐賀の先見性を紹介するとともに、平成23年5月に、日本で最初に世界記憶遺産に登録された、福岡県田川市出身の炭鉱画家山本作兵衛の作品も併せて紹介することで、日本の近代産業発展の礎となった炭鉱と、そこに生きた人々の生活にせまります。
                  ●会 期:平成25年2/23(土〜4/21(日)
                        
                  9:00〜17:00 
                        休館日/毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
                  ●会 場:
                  佐賀市佐野常民記念館
                        佐賀市川副町大字早津江津446-1
                        TEL 0952-34-9455 FAX 0952-34-9465
                  ●観覧料:大人300円 小人100円(常設展示室観覧を含む)
                  主催/佐賀市佐野常民記念館
                  共催/佐野常民顕彰会
                  佐野常民企画展、石炭開発と近代佐賀
                  展示品など詳細はコチラ→佐賀市佐野常民記念館
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                  清力美術館の企画展「高鶴 元 展」

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                    大川市立清力美術館では、上野焼の窯元に生まれ、現在はボストンを拠点とし世界的に創作活動を展開している高鶴元(こうづる げん)氏の作品を展示しています。

                    ・会  期:平成25年1月8日(火)〜2月24日(日)

                    ・記念講演会:平成25年1月20日(日)13:30〜14:30

                    ・観 料:200円(15名以上の団体料金は1人150円)
                    ・主催:大川市立清力美術館企画展実行委員会
                    高鶴元展


                    大川市立清力美術館(下流・川の駅)

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                      [概要]
                       当館は筑後川の下流の左岸にあり、元は清力酒造株式会社の事務所として初代社長中村綱次を施主とし、筬島傅太郎が大工棟梁をつとめて明治39年(1906)11月に着工し、明治41年(1908)に建築されたものです。
                      建物は木造二階建て洋風建築と和風平屋の倉庫部分がら構成されています。二階の広間は昭和30年(1955)から昭和61年(1986)にかけて「清力美術館」として公開され、多くの美術愛好者に親しまれてきました。
                      平成8年に大川市指定文化財に指定され、平成12年度に修復工事を行い、平成13年6月より「大川市清力美術館」として開館いたしました。平成15年2月には福岡県文化財に指定されました。

                       [連絡先] 
                      〒831−0008 福岡県大川市大字鐘ヶ江77番地16
                      TEL:0944−86−6700
                      FAX:0952−86−6700
                      [ホームページ]
                      清力美術館


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